子供たちに、この一言を!(『解脱』令和元年7月)
皇室の歴史とは 〝祈りの歴史〟ということを、これまでお話ししてきました。上皇后陛下がおっしゃったように、まさに「皇室は祈り」なのです。
それでは、その「祈り」とは、どのような内容なのでしょうか? そのことについては、昭和天皇の、次の御製(ぎょせい)から拝察することができます。
「我が庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々」 (昭和五十年)。
「宮居」というのは、「宮中三殿」のことです。「宮中三殿」とは、皇居のなかにある「賢所」(かしこどころ/けんしょ)「皇霊殿」(こうれいでん)「神殿」(しんでん)の総称で、「賢所」には、アマテラス大神がお祭りされ、「皇霊殿」には御歴代の天皇の御魂がお祭りされ、「神殿」 には、わが国の神々がお祭りされています。
昭和天皇は、その「宮居」の「神々」に「朝々」…つまり毎朝、「世の平らぎ」をお祈りされていたことがわかりますが、御歴代天皇の祈りも、たぶん昭和天皇と同様のものであったでしょう。
悠久の歴史を通じ、神々のご子孫である天皇陛下が、毎朝「世の中が穏やかでありますように、国民が安らかに暮らせますように…」と祈りつづけてこられた国…それが日本です。それほど国民が知っておくべき、大切なことはありません。
ところが、今の日本国民の、どれくらいの人々が、そのことを知っているでしょう?
学校もメディアでもそのことを、ほぼ伝えません。『学習指導要領』というものがあります。そこには〝日本の学校では、こういうことを教えなさい〟ということが書かれています。
そのなかには、ちゃんと「天皇についての理解と敬愛の念を深める」と書いてあるります。しかし今は、それを教えないどころか、学校によっては、それとは逆に「反天皇教育」をしている学校さえあって、あきれるほかありません。
そういう教育は、早急に是正されなければなりませんが、是正するというだけでは足らないでしょう。むしろ、これからの時代は、全国の学校で、先生たちは子供たちに、こう語りかけるべきではないでしょうか。
「天皇陛下は毎朝、私たち国民の幸せを、祈ってくださっているのですよ」。
まずは、そこの一言から、はじめてほしいと思います。子供たちの心は敏感ですから、わが国のすべての子供たちが、そのことを知れば、それだけでわが国は、ゆっくりとではあるでしょうが、まちがいなく、よい方向に、変わりはじめるにちがいありません。
わが国の国民に、もともとあって今は薄れかけている美しい心…正しい心…強い心が、その一言から、よみがえりはじめるにちがいない、と私は信じています。わが国は、天皇の祈りとともに悠久の歴史を歩んできた、いわば世界一の「大樹」のような国です。
しかし、今から七十年ほど前、その「大樹」を〝根こそぎ〟にしようとする 〝暴風雨〟が日本を襲います。GHQ(連合国最高司令官総司令部)の占領政策です。
その暴風雨は昭和二十年から二十七年まで、六年八か月も吹き荒れました。その間、皇室をお守りするための、さまざまな法律や制度が、徹底的に吹き飛ばされます。
それは、まるで世界一の「大樹」の根元に、次々と〝斧〟が振り下ろされたようなもの…ともいえるでしょう。(つづく)
みんな・・・神さまの子供(『解脱』平成31年4月)
アマテラス大神の御子孫が、日々、御先祖のアマテラ ス大神をはじめとする、わが国の神々に祈りをささげられている…。
他の「皇帝」たちとはちがい、天皇の比類なく尊いところは、そこにあるのですが、昭和二十年から二十七年まで日本を占領したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は占領中、そのことを言わせないよう、書かせないよう、厳しい言論統制を行いました。
そのあと、わが国が主権を回復してから、もう七十年近くの歳月が流れているにもかかわらず、いまだに教育やメディアの世界では、GHQの言論統制が、なぜか、見えないかたちでつづいています。
たとえば、平成二十五年の式年遷宮の際、私の知人がテレビのインタビューを受けて、伊勢神宮について、いろいろなことを語ったのですが、「アマテラス大神は、天皇陛下のご先祖の神さまです」と語ったところだけは、なぜか放送の際、カットされていたそうです(先の大戦の名称も、正しくは「大東亜戦争」なのですが、教育やメディアの世界では、今でもGHQが強制した「太平洋戦争」という名称しか使われていません。)
さて、“君主の先祖が神さま"と いう のは、世界史的に見ると、じつは特に驚くようなことではありません。古代では、世界のどの地域であろうと、じつはそれが〝あたりまえのこと〟だったのです。
たとえば、紀元前千二百年ごろ、ギリシアにアガメムノンという王様がいました。 「トロイ戦争」に勝ったことで知られる王様ですが、この王様の先祖は、「ゼウス」という神さまで、古代ローマの初期の王さまたちも、「エピテール」という神さまの子孫です。
アングロ・サクソン民族も同じで、七世紀に栄えた古代イギリスのノーサンブリア王朝の系図をさかのぼっていくと、ゲルマン神話の「オーディン」にたどりつきます。 エジプトのファラオは、太陽の神さまの「ラー」 の子孫でしたし、インカ帝国の王さまも、モンゴルのジンギスカンも、先祖は神さまです。
「氏族」の先祖をたどれば神さまになる…と いうのは、古代の世界では〝あたりまえのこと〟だったのですが、そのような起源をもつ諸外国の君主制は、わが国でいうと、戦国時代のころまでには、ひとつ残らず滅びています。
一方、わが国では、皇室は いうまでもなく、他にも “先祖は神さま"という家が、まだ いくつも残っています。出雲大社の「国造家」は、「天の穂日の命」の子孫で、籠神社の「海部家」は、「天の大明の命」の子孫です。
「君主が神さまの子孫」というだけで、話は終わりません。江戸時代の有名な学者・平田篤胤は、こう書いています。
「代々の天皇のお子さまたちが、『平』とか『源』などの姓をもらって家臣にくだられ、その家臣た子孫が、どんどん繁栄して、とうとう今の私たちになった、といわれています。ですから、 わが国は、ほんとうに神さまの国なのではないでしょうか。そして、なんとこの私たちも、ほんとうに神さまの子孫なのではないでしょうか」(『古道大意』)。
つまり、広く解釈すれば私たちは、みんな神さまの子孫で、みんなの御本家が皇室…ということになるわけです。 (つづく)