「三大神勅」 さて、その伊勢神宮とは、どのようにして成立したのでしょうか?
伝えられているところを、ザッと申し上げましょう。
神代の物語の、いわば「クライマックス」というべきものに、「天孫降臨」の場面があります。そのとき、天上の支配者であるアマテラス大神は、地上に降臨される、お孫様のニニギの命に対して、三つの大事な命令を与えられますが、これがいわゆる「三大神勅」といわれるものです。要するに、アマテラス大神さまからの三つの命令です。
それを一つずつ見ておきましょう。
「吾が児(みこ)、 この宝鏡(たからのかがみ)を視まさんこと、 吾(あれ)を視るがごとくすべし 。ともに床を同じくして、殿(おおとの)を共にして、斎鏡(いわいのかがみ)となすべし。」(『日本書紀』)
これは、アマテラス大神が、鏡を渡されて、「わが孫よ、この鏡を見るときは、それを私を見ることだと思い、この鏡と、同じところにすんで祭りなさい」とおっしゃったという意味です。次は、こういうものです。
「吾(あ)が高天原にきこしめす、斎庭(ゆには)の稲穂を以ちて、また吾が児に御(まか)せまつるべし。」(『日本書紀』)
これは、アマテラス大神が、「私の世界・高天原で食べている神聖な稲穂を、私の孫である、あなたに授けよう」とおっしゃった、という意味です。
「葦原千五百秋瑞穂国(あしはらの ちいほあきの みずほの国)は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(つち)なり。よろしくなんじ皇孫、就(ゆ)きて治(しら)せ。 行(さき)くませ。宝祚(あまつひつぎ)の隆えまさむこと、まさに天壌(あめつち)と無窮(きわまりな)けむ。」 (『日本書紀』)
これは、アマテラス大神が、「日本の国は、私の子孫が君主となりつづける国である。さあ、私の孫よ、行って治めなさい。幸いを祈ります。天皇の位が栄えつづけることは、天のように、また地のように永遠なのですから…」とおっしゃったという意味で、「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」として有名なものです。
さて、この「三大神勅」は、いったい何を意味しているのでしょうか?
私なりに解釈してみます。
最初の「神勅」は、「国民の信仰」を意味しています。しかし、この「信仰」、なんと寛容なものでしょうか。
「この鏡を祭りなさい、それだけなのです。理念でも戒律でもなく、「鏡」という物、それを祭りつづければ、それでいいのです。
このような寛容な「信仰」の基盤があるからこそ、わが国は、古代から現代にいたるまで、全世界の人類が古今東西、苦しみつづけている「宗教戦争」という大変な悲劇を、ほとんど経験することなく、歴史をきざんでくることができように思います。
その次の「神勅」は「国民の経済」を意味しています。米というものが、きわめて生産性と滋養に富んだもので、穀物の中の王様であるということは、周知のところです。
最近では遺伝子工学の世界的権威・村上一雄氏が、「世界のあらゆる食品の中でも最も理想的な作物」である、と述べています。日本人は米を主食にすることにより、近代以前の社会では、もっとも効率的に、人口を高く維持することが可能だったわけです。
最後の「神勅」は「国民の政治」を意味しています。政治には必ず中心点が必要です。それが日本では皇室にほかならないのですが、この天皇というご存在の大切さについては、戦後教育では、まったく教えられておりません。
一言でいえば、“天皇は日本の命”です。日本を日本たらしめるものは、天皇しかありません。
皇統が絶えれば、何もかもなくなるのです。
日本の守るべきものの優先順位をつけるとすれば、何はさておいても皇統であると、私は思っています。(つづく)