「教育再生」 神無月号 (平成十九年 十月)
さねさし 相武(さがむ)の小野(おの)に 燃ゆる火の
火中(ほなか)に立ちて 問いし君はも
作者 オトタチバナ媛(ひめ) オトタチバナ媛は、古代の英雄・ヤマトタケルの命(第十二代・景行天皇の皇子)の妻です。ヤマトタケルの命は、若いころから気性が激しく、それを恐れた父の天皇は、命に九州の平定をお命じになります。
しかし、苦労のすえに、その事業を成しとげて帰った命に、天皇は平然と「今度は東国を平定してきなさい」とおっしゃいます。「私など死んでしまえ、とお思いなのか・・・」と悲しみつつも、命は東国の平定に向かわれたのですが、その途中、相模の国(今の神奈川県)で、地元の豪族から騙され、野に入ったところで、まわりに火をつけられ、焼き殺されそうになります。
しかし、その燃えさかる炎の中でも命は、かたわらのオトタチナナ媛のことを気づかって、やさしい言葉をおかけになりました。思わず発された言葉だったのでしょうが、その言葉を媛は忘れませんでした。
そのあと、さらに東に向かい、今の浦賀水道を船で渡っていたとき、海の神が怒り、荒波を立てて行く手をはばみました。
そのとき媛は、「あなたにかわって私が海に入り、神の怒りをしずめましょう。どうかあなたは、ご自分の使命をはたしてください」と言って、海に身を投げたのです。
この歌は、媛が最後のときに詠まれたもので、歌意はこうです。「あなたは、あの相模の野で、燃えさかる炎の中に立っていたときも、わたしのことを気づかって、お声をかけてくださいましたね」。自分が大変な時にも人を気づかい、気づかわれた人はそれを忘れない。立派な日本人とは、そういうものです。
七日後、海岸に媛の櫛が流れ着き、命はその櫛で媛の墓を作りました。そして東国の平定を終えて帰るとき、命は足柄山から東国を振り返り、何度も「わが妻よ」と嘆かれたそうです。
ちなみに、今の皇后陛下は幼いころ、この話をお読みになり、「愛と犠牲」は一つのもの・・・と感じられたそうです。
そういえば、かつて沖縄で両陛下に火炎瓶が投げつけられるという事件が起こりましたが、あのときの映像を見ると、燃えさかる炎の中で、今上陛下は思わず皇后陛下をかばわれています。