(「産経新聞」三重版 ・ 平成17年7月27日 )
「神話とは?」と問うと、今の日本人には、それをハナから「非科学的な、単なる作り話」と信じている人が多い。なかには、いまだに「軍国主義につながる!」などと力む人もいるが、たぶんそういう人の頭脳は、いまだにGHQの占領下にあるのであろう。
世界の超一流の学者たちによる「神話研究」が、この一世紀ほどで、どれほど進展しているのか…、その結果、世界では今、どれほど神話が尊重されるようになっているのか…、たぶんほとんどの人々は、何も知らないのであろう。たとえば、フランスの大神話学者として知られるジュメジルは、「神話を持たぬ民族がもしあれば、それはすでに生命をなくした民族だ」とまで言っている。
要するに、「神話」を失った民族などは“もう終わっている”と、言っているのである。このように二十世紀の「神話研究」は、かなりシビアな成果を、私たちの目の前に突きつけているのであるが、わが国の人々の「神話」に対する認識は、先ほどのとおりで、西洋でいえば、19世紀の近代合理主義あたりで止まっていて、それから一歩も前進していない。
そのことを象徴するのが、今の歴史教科書である。この夏の「教科書展示会」に行かれた方なら、今の中学の歴史教科書が、神話をどんなふうに扱っているのか、もうお分かりであろう。
たとえば、現在、三重県内では三社の教科書が使用されているが、その「神話」に関する記述量は、わずかにA社・B社が約二百字、C社が約百七十字である。むろん、こんな字数では、とても神話の内容など説明できない。
しかも、これらのうちのC社の記述は、「神話」について説明しているように見えて、じつは時代遅れの学説にもとづいて、「反天皇思想を刷り込もう」とする、底意ある記述になっている。しかし、これが「教科書から見える三重県の神話教育」の実態なのである。
そもそも、「神話」は民族の宝であり、三重県はその宝庫である。「三重」という地名からして『古事記』に由来している。それなのに、その三重県の学校では「学習指導要領」に謳われている程度の「神話教育」さえ、満足には行われていない。そんなことだから、今の三重県では、大のオトナが平気で「天照大神」を、「テンテルダイジン」などと読むのである。
“もう終わっている”と、笑ってよいものであろうか。よいはずがない。百害あって一利なき「過激な性教育」などは即刻中止し、その分の時間は、「神話教育」の時間とすべきであろう。三重県を、“もう終わっている県”にしないためにも…。