( 「産経新聞」三重版 ・平成19年1月31日)
昨年11月24日の夜、私は東京で友人たちと夕食をともにしていた。その一人でさる八木秀次さんが「今日は、これで失礼します」という。付き合いのいい八木さんにしては珍しいな、と思っていると、これから朝までテレビの討論番組に生出演するのだそうである。
「それはそれは・・・、八木さんガンバレー」と送り出した後、当方は酒宴に移り、大いに歓談し、日付を越えてホテルに入った。テレビをつけると、さきほどまで一緒にいた八木さんが、日教組の中央執行委員長・森越康雄氏を相手に奮闘している。
八木さんは「今、国会前で、何百人もの日教組の人たち(教育基本法改正阻止を訴え)座り込んでいますが、子供たちが毎日のように自殺している中でどうしてああゆうことをやっているんですか。あの先生たちにはぜひ教室に戻ってもらいたい」とじつに真っ当な発言をした。
すると森越氏は「すみません。先週で(座り込みは)やめました」と言った。視聴者には「もう政治活動はいたしません」と謝罪したように見えたはずであるが、それは「世を欺く仮の姿」であった。なぜならそれから2週間ほどした12月8日、日教組は東京の日比谷公園に、全国から1万2000人もの組合員を動員し「教育基本法改悪阻止!12・8日教組緊急中央集会」を開いているからである。
三重県からは215人が、バス6台をしたてて参加している(公立学校には、よほど人手が余っているのだろう)。また呆れたことに三重県では「三重県教職員組合」がスポンサーになって教育基本法改正に反対する趣旨のテレビCMまで流れていた。スポンサーも放送局も「放送法」第3条「政治的に公平であること」など知らぬ顔である。
結局のところ12月15日、教育基本法はじつに59年ぶりに改正された。日教組は、改正阻止の運動に総額で約3億円の組合費とのべ1万5000人の組合員を投入したらしい。
すべての費用はもとは税金であり、ほとんどの組合員は現職の公務員である。私は何度も「公務員の政治活動は法律違反である!」と訴えてきた。しかし馬の耳に念仏だったのであろう。子供たちに「規範意識」を説く以前にそもそも「先生たち」に「規範意識」がないのだからなんとも仕方がない。
しかし、なぜ日教組はそこまでして教育基本法の改正に反対したのであろう?世間では「愛国心教育に反対しているのでは・・・」と思っている人が多いようだが、おそらくそれだけではあるまい。
新しい「教育基本法」の第16条には「教育は・・・この法律及び他の法律の定めるところにより行なわれるべきものであり」とある。じつはこれこそが、日教組の人々にとっては、真に成立を阻止したい条文だったのではなかろうか。
なぜなら旧い「教育基本法」には「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対して責任を負って・・・」とあり、日教組は、これを都合良く解釈して、文部科学省や教育委員会の施策や指導、はては公務員や教育行政に関する法律までも、自分たちの気に入らないものは「不当な支配」と決め付け、それらを蹂躙する時の最大の後ろ盾としてきたからである。
旧い「教育基本法」のその条文は、いわば日教組の「魔法の杖」だったのである。しかしその杖が奪われ、教育は「法律の定めるところにより行なわれるべきもの」となった。考えてみればあたりまえのことが明文化されたにすぎないが、これまでの、そしてこれからの日本の教育を考えれば、この新しい条文の意味するところは限りなく大きい。
今年は「選挙の年」である。果たして日教組の「先生たち」は”六十年一日”のように、法律を蹂躙して、またしても選挙活動に奔走するのであろうか?
できれば「公立学校教師、選挙活動で大量検挙!」などという事態だけは避けてもらいたい。そんなことになれば、何より子供たちが大きなショックを受けるからである。