"ジェンダー・フリー皇族"という終着駅 (「志」平成18年4月19日)
「報告書」のままなら、まず現実的には「男系」の女性天皇が誕生するであろう。以下は、仮定の説である。おそらく、その方は聡明、かつ伝統を畏れる方として成長されるであろう。ならば、その方はみずから、かつての女系と同じ道を、つまり生涯独身を貫く道をお選びになる可能性が高い。歴史上例のない「女性宮家」などつくったところで、他の女性皇族も、あるいは、その姿を見ならわれるかもしれない。それでは、そのあとは、どうなるのか・・・?
一方、その肩が「婿を迎える」決断をされたと仮定してみよう。では、その「婿」は、どこから、どうやって迎えるのか?。「旧皇族から迎えればよい」などという人もいるが、将来の旧皇族の皇族復帰というのであれば、なぜ今、旧皇族の皇籍復帰に賛成しないのか、不思議である。それに論理的には、女性天皇を容認した瞬間、「婿の選択肢」は無限大になる。なぜなら、「皇族は女系でも継承される」というのが「タテマエ」だからである。とすれば、「婿」として、どんな男性があらわれようと(たとえ、それが外国人であろうと)、もはやそれを、論理的に拒否できる根拠はない。
「報告書」の問題は、女性・女系天皇の容認という点のみにはとどまらない。「長子優先」という原則も、また"革命"的である。この原則にしたがえば、どうなるか?。シュミレーションしてみると、「天皇と皇后(または女帝と女帝の婿)の間に皇女が生まれる>次に皇子が生まれる>しかし、皇女は女帝として即位し、他家から「婿」を迎える」ということになる。つまり、皇子がいても皇女が天皇となり、他家から「婿」を迎えなければならなくなる。あまりに非常識というしかない。
なぜ、そんな話になるのか。「有識者会議」10名のうち、少なくとも中心人物の5名が共産主義の亜流である「ジェンダー・フリー思想」の信奉者であったことを、林道義氏が明らかにしている(「正論」平成18年2月号)。つまり、「報告書」は、明らかに、「ジェンダー・フリー思想」による皇室の改造を、すなわち日本の改造を企画しているのである。女性・女系天皇の容認という電車に乗れば、もう途中下車はできず、結局のところ「男女の区別」さえ否定される「ジェンダー・フリー皇室」という荒野の終着駅に到着することは必至なのである。