( 「産経新聞」三重版・ 平成18年6月14日)
去る5月3日、私は地元の方々からの依頼により、愛媛県松山市におもむき、市内のホテルで「憲法改正」を訴える講演をした。講演が終わって宴となったのであるが、そこで、大政悦子さんという方とお話する機会を得た。悦子さんの娘さんの由美さんは、平成15年1月に発表された「特定失踪者」(北朝鮮による拉致事件の被害者である可能性のある失踪者)の1人であるが、以後、現在にいたっても、その安否、所在などについては不明であるという。娘の捜索、救出を懸命に訴え続けるその姿から、いつしか地元の方々は「愛媛の横田早紀江さん」と呼ぶようになったらしい。
娘さんの大政由美さんは、昭和42年、愛媛県伊予市に生まれ、愛媛県内の高校を卒業後、昭和62年に三重大に入学した。考古学が好きで、4年生のころは県内で古墳発掘作業のアルバイトをしていたらしい。平成3年3月25日、三重大の卒業式に出席し、その2日後、関釜フェリーに乗る。下関から「これから韓国に行く」と実家に電話をしているが、今のところ、それが家族との最後の会話となっている。
釜山から韓国に入った由美さんは、慶州の「鶏林ユースホステル」に宿泊した。5日かけて慶州や扶余の古寺をめぐる予定であったらしいが、28日の午前10時ごろ、フロントにキーを預けて外出した後、消息が途絶えた。部屋には、財布や旅行カバンが残されていた。時に24歳。4月からは三重大の考古学教室の研究生になる予定であったという。失踪当時は推測をまじえた報道が、いろいろと行われた。時にご家族は、心ない人々からの誹謗中傷にも悩まされたという。
私が「私も横田ご夫妻とは、二度ほどお会いしたことがあるんですよ」と言うと、大政さんは、こうおっしゃた。「うちの娘は、ずっと三重に行ってましたから・・・。私たちは離れて暮らすことに慣れていましたが、横田さんのところは、朝「行ってきます」と出かけて、それっきりですもんね・・・。私たちより何倍もお辛いと思いますよ」
ただでさえ、過酷な運命に耐えてこられた方である。自らの怒りや悲しみを、いくら過剰に表現しても足るまいに、大政さんは、静かな口調で、自分より横田さんの方が気の毒だ、とおっしゃるのである。
「ああ、そういえば・・・日本人とは、こういう悲しくも美しい"感情の抑制力"をもっていた民族であったな・・・」。私は久しぶりに、日本人らしい清らかな心をもった人に出会った気がした。それもあって、この一文を書いた。もしも、大政由美さんに関する情報があったら、とりあえず松山市の「救う会 愛媛」(℡ 089・973・9003)に連絡してほしい。