◯ 日本人の神様との向き合い方
伊勢の神宮で行われる式年遷宮は、簡単に言えば、ご社殿を二十年に一度、太古さながらの形を守りつつ、新しいものに建て替える事業です。神宮で最も大事なお祭りと言われています。
内宮、外宮の御正宮と十四の別宮、百九の摂写真、末社、所管社、合わせて百二十五の宮社から成り立つ神宮のすべての社殿が順次建て替えられます。
そのほか千八百種二千五百点もの御装束、御神宝、つまり神様のお召しになる衣服やお使いになる道具を、二千数百人の人間国宝級の職人さん方が長い歳月をかけて、技の限りを尽くして、すべてつくり直します。
これは想像を絶するスケールのプロジェクトです。
なぜ二十年に一度、すべての建物を立て替え、お道具をつくり直す必要があるのかという根本的な疑問についていろいろな説がありますが、今のところ決定的な定説はありません。
第一回の式年遷宮が行われたところ、日本には高度な建築技術がすでにありました。現存する世界最古の木造建築物・法隆寺は、第一回の式年遷宮以前に建立されています。
その優美な堂塔伽藍が今日まで健在であることはよく知られているところです。
にもかかわらず、飛鳥時代の先人たちはその最先端の技術を神宮にはあえて用いず、すぐに朽ち果ててしまう弥生時代さながらの神殿を二十年ごとに建て替えるというリメイク・システムを考案しました。
一見、非合理的なこのシステムが維持されているところに伊勢神宮の本質に関わる独創的な思想が秘められています。
私はそれを「永遠なる祭り」と言っています。
神宮は、しばしば「常若という言葉で表現されるろうに、まさに永遠に若いのです。二十歳以上、年を取ることはなく、永遠に最も古く、最も新しい存在です。
その奇跡が遷宮という制度によって保障され、数々の祭りも日本が日本である限り、今後も一日の断絶もなく、永遠に続いていくに違いありません。
そこに時の流れはなく、「永遠の今」があるだけです。
私たちはよく「初心にかえれ」などと言いますが、神宮は常に初心にかえって本来の新しい姿を表しています。こうして見ると、遷宮という制度そべてほもとになっているものは「天照大神様は今も生きていらっしゃる」という日本国民の信仰心であることは、明らかです。
今も生きていらっしゃるから、太古の昔と同じような衣食住が必要です。
馴染みのない建物に住んでいただくわねにはいきません。馴染みのない衣服をお召しになっていただくわけにはいきませんし、馴染みのなちお道具をお使いいただくわけにもいきません。
しかも、できたばかりの清く新しい品を使っていただきたい。
そう考えて、生きていらっしゃる高貴な方に接するのと同じようにご奉仕します。
それが私たちの神様との正しい向き合い方なのだと思います。
◯ 人生を表す二つの言葉
「神宮とは何か」をひと言で言えば、天皇陛下のご先祖である神様をお祭りした神社です。ところが現代では、このいちばん肝心なところをぼかして説明する傾向が強いのてす。
最も大切なのは、天照大神の子孫が連綿と続いて今上陛下に連なっているという一点です。その一点を除いて語ることは、神宮の本質もしくは日本人の信仰の本質を無視したものだと言うほかありません。
皇室は、伊勢神宮が御鎮座されるいぜんより存在し、天皇陛下のいちばん大事な仕事は、祖先である天照大神をはじめとした日本の神々に祈りを捧げることです。陛下のご自身が伊勢神宮へ折に触れてお参りされ、また皇后にも日本の神々を祀る「宮中三殿」と呼ばれる御殿があります。
いわば天皇は最高位の神職であり、最高位の「祭り主」なのです。
現代の若者たちに、その仕事をわかりますく説明する必要があるときは、「お祈りをすること」だと私は言っています。さらに噛み砕いて言えば、神と民の間を取り持つことであり、取り持つための方法が「祈る」ことです。
鎌倉時代の順徳天皇は『禁秘抄』という本を書かれています。そこに「およそ宮中で行うことは、まず神事を先にして、他のことは後にします」とあるように、毎朝、起床されると体を清め、祈られています。
この毎朝の陛下のお祈りは、明治以降はご代拝に形を変えて現在も続いております。歴代の天皇陛下の祈りは、自分自身のためのものではなく、世のため人のため、世の平らぎを祈願する「民安かれ」の祈りです。広く解釈すれば、世界平和を祈ってくださっているということです。
この精神は古代から現代まで一貫して変わることはありません。その祈りはいずれの時代でも天皇陛下の国民に対する無償の愛であり、見返りを求めない愛です。
太陽のように万物に愛を注ぎ続けられる天皇陛下は、太陽そのものの徳をお持ちなのだと私は思っています。
これはちょうどお父さんとお母さんがわが子を愛することに似ており、遠い昔から両陛下は、すべての国民の父母でありたいとお考えになっています。苦しんでいる国民がいれば、両陛下はご自身の不徳のせいであると考えて反省されます。
両陛下は常に国民の幸せを祈っておられます。私たちこくみんは両陛下から「どうかお幸せに」と祈られている存在です。ならば国民も、両陛下のご安泰をお祈りするのが道理だと思います。
両陛下に対して、皇居勤労奉仕などを通じてご奉仕することも大切ですが、何よりも大事なのは、私たち国民の生き方です。「今の世相を見て、両陛下がお喜びになっているだろうか」という想像力です。
そして、まずはみずからを省みることです。神に恥じない心はあるか、行いはあるか、世の中を良くするために私には何ができるのか、それらを考えることは、日本人としての務めだと思います。
神々と皇室への感謝の思いが心の中にたぎってくるとき、私たちはきわめて単純な短い言葉を心の底から発することができるようになります。
それは「ありがとうございます」という言葉です。このひと言を本心から真心を込めて発することができるようになれば、「私もがんばります」という言葉が後に続くようになるでしょう。
人生とは要するに、この二つの言葉に表される感謝と報恩に尽きると思っています。
何も難しいことはありません。それぞれの立場でご恩返ししていけば、神々や祖先に顔向けできる人生になるはずです。
お互い、感謝と報恩を誓いつつ、今後の人生が実りあるものとなるよう努めましょう。
ご静聴ありがとうございました。(要旨\文責本誌)