私たちの使命 そのような現状で私たちは何をすべきか?最後に「私たちの使命」についてお話します。
一言で言えば「ご聖徳」をありがたがってばかりいて、それで終わっていていいのか、ということです。
幕末の志士たちは陛下の御心に応えて立ち上がり、日本の危機を救いました。日清、日露、大東亜戦争などで散華した英霊たちは、この世に二つとない自らの命をささげて、祖国日本をお護りくださいました。
ありがたがって、それで終わりでは、私たちは先人に対してあまりに申し訳ないのではないか、と思うのです。
私は皆さんに「大きな事をしてください」などと、いうつもりはありませんし、その資格もありません。けれども身近なところでいくらでも私たちは、両陛下の「楯」としてささやかな働きができるのではないでしょうか。
皇室をめぐることだけでも、様々な懸念が生じています。第一に「女系天皇」を唱える人々が、再び息を吹き返してきている、ということです。
八木秀次さんが、平成二十一年十一月号の『正論』に書いているところによりますと、宮内庁は今年はじめから非公式に「女系天皇」容認のための勉強会を発足させ、「女系容認」の学者を呼んでいるそうです。「女系容認」の人々は「事務方の政府高官と宮内庁筋」と結託して、「陛下のありもしないご下問を持ち出し、『大御心』を捏造」するというという、不敬きわまりないことまでしているようで、詳しくはその八木さんの文章をお読みください。
あらためて申しあげますが、「女系天皇」は神武天皇以来、つまり建国以来、一貫して男系で継承されてきた皇室の伝統を破壊するものであり、「女性宮家」は、その「女系天皇」への道を開くものであり、いずれも絶対に容認できるものではありません。旧宮家の神武天皇の、男系男子の血統を引く方が皇籍に復帰していただき、そこにできれば、今の女王様が嫁いでいただく、これが伝統に即して、皇位継承の危機を乗り切る唯一の方法です。
すでに継体天皇のときなどに、その例があります。もしも「女系天皇」が擁立されたら、それは「革命」を意味し、「万世一系の皇統」が断絶したことを意味します。
こればかりではありません。岡田克也外務大臣は去る十月二十三日の閣僚懇談会で、国会開会式の陛下のお言葉について「陛下の思いが少しは入ったお言葉がいただけるような工夫を考えてほしい」と、不敬極まりない発言をしています。さらに、ご即位二十年の十一月十二日を「臨時祝日」にすることも、民主党の反対で実現せず、さらにはこの年末にいたって、ご存知の通り、とんでもない不敬極まりない事件が起きています。
民主党の小沢一郎幹事長は、国会の延長を最小限にとどめて、百四十三名の民主党国会議員を中心とする総勢数百人の訪問団をひきつれて、中華人民共和国を訪問していますが、そのころ平野官房長官は十二月七日と十日(小沢、胡錦濤会談の日)に、宮内庁に電話をかけ、胡錦濤国家主席の後継者と目される習近平が、十四日から来日するのにあわせて天皇陛下との会見をセットせよ、と宮内庁に命令しています。
来日の五日まえです。
ふつう陛下との会見は、少なくとも一ヶ月前に申し込むのがルールとなっているのに、権力に任せて、まことに無礼と僭越のきわみの政府命令を、民主党政権は出しています。
増長するのにも、ほどがあります。私は、はらわたが煮えくりかえりました。『週間文春』によると、両陛下は、「昭和天皇の御代から大切にされてきた、あらゆる国のその立場にある人に、公平にわけへだてなくお会いするということが、簡単にないがしろにされた」と、おっしゃつたそうです。
これは明らかに、政府が皇室を対シナ土下座外交に政治利用・・・というより、私的に利用している、としか見えません。習近平は、ウイグル弾圧の中心人物。
十二月十五日、その汚れた手で、陛下の手を握ったのです。
十五日は、賢所の御神楽奉納の聖なる日でした。それにぶつけてきた、としか思えません。いったい民主党の首脳部の人々の心の中は本当に「日本人」なのでしょうか。彼らの心の中はもしかしたら、もうすっかり「外国人」なのではないでしょうか。
少なくとも私には彼らは平成の蘇我…、平成の道鏡…、平成の足利…、平成のコミンテルン…にしか見えません。一言で言えば、民主党はもう明らかに「朝敵」になっている、といっていいと思います。
「ご聖徳」を仰ぐ心があるなら、次は、それにお応えしようとする気力をふり絞らなくてはなりません。一人一人の心にその気力が満ち、行動につながる時…、ようやく日本の「再生」への重い歯車は、少しずつ回りはじめるのではないか、と思います。
歴史上のその具体例を挙げておきましょう。
孝明天皇の御製と伝えられるものに、次のようなものがあります。
孝明天皇の御製
戈とりて まもれ宮人 ここのへの みはしのさくら 風そよぐなり
歌の意味はこうです。「さあ、宮中の者たちよ、武器をとって、守りをかためなさい。御所の端の桜には風が吹きつけ、今にも散りそうであるが、今の日本の状況は、それくらい危ういのであるから」。
おそらく、この御製への「返し歌」として、宮部鼎蔵の和歌は詠まれたのであろうと思います。
宮部鼎蔵は熊本藩の志士です。幕末の志士・吉田松陰を知らない人はいないと思いますが、宮部鼎蔵はその親友で、のちに池田屋で新撰組に襲われ、四十四歳で殉難しています。
宮部鼎蔵の和歌はこうです
いざこども 馬に鞍置け 九重の みはしのさくら ちらぬその間に
歌の意味はこうです。
「さあ子供たちよ(この「こども」というのは、天皇の「赤子」、つまり「皆さん」という意味でしょう)出陣のときがきた。馬に鞍を置け。早くしないと、皇居の端の桜が、散ってしまうぞ。それからでは遅すぎるのだから」
人間は、いつの時代も公私ともにさまざまな問題や課題を抱えながら生きています。それは幕末の志士たちも同じです。
けれども、多くの人々は何を最優先にしなければならないのか、ということを忘れて、うかうかと人生を過ごしてしまいがちです。志士たちは、自分は何を最優先にすべきか…、と考えてその一点のために自らの人生を燃やしつくしました。
私たちも、公私共に多忙な毎日ですが、時に心を沈めて「私は私の残りの人生で、何を最優先に実現したいのか、そのためには明日からどう生きるのか・・・」と、しばし立ち止まって、ゆっくり考えてみることも必要なのではないでしょうか。
本日のお話が、皆さんにとって、その「きっかけ」となれば幸いです。
ご静聴ありがとうございました。 (おわり)