子供たちに残す最大の遺産 先ほど私は、教師は「まず自分が『清浄』で『すがすがし』という境地でいたいものです」と申しあげました。けれども、今の教育現場はどうですか?
その逆でしょう。それはなぜですか?
教師が勇気を持って戦っていないからではないでしょうか?教育の世界ほど、「悪しき仲良し主義」「みんないっしょ主義」のようなものが、蔓延しているところはありません。
それは、もう教師志望の大学生の時代から、そういう「全体主義的な空気」に慣らされて、しつけられてしまいます。「悪しき、なかよし主義」「みんな、いっしょ主義」とは、要するにふつうの言葉でいえば、「事大主義」、「事なかれ主義」、「長いものには巻かれろ主義」です。
それはやがては、教育現場に、根深い「癒着」と「馴れ合い」を生みます。私は長年、サヨク教師集団と戦って参りましたが、なぜその強い組織力は、今も維持されているのか…、と考えた時、その根底にあるのは、じつは高尚な思想などではない…と、近頃は思っています。
そこにあるのは「悪しき、なかよし主義」「みんな、いっしょ主義」、それに基ずく「癒着」と「馴れ合い」だと見ています。それが全国の教育現場の「反天皇全体主義」、「反日全体主義」のもっとも根底のところにあって、その巨大な悪を支えている巨悪の根元ではないか、と私はみています。
なぜそれを突き崩せないのか?それは、一人ひとりの教師に「勇気」がないからです。
人には誰しも「保身」という感情があります。
それは当然あってよいのですが、あまりに強すぎるとどうしても「悪しき、なかよし主義」「みんな、いっしょ主義」の包囲網から脱出できない。ずるずると悪の一味になってしまう。
はじめにそうなってしまうと、もう今度はそんなふうに「妥協して生きている自分」を正当化し、守ろうとするようになる。やがて、懸命に戦っている人を応援するどころか、嫉妬し始め、さらには妨害さえするようになる。
最悪です。そうなったら、とても「我が御心すがすがし」という境地に到達するどころではないでしょう。
一度「戦い」から逃げると、「逃げる」癖がつきます。だんだんと人相が悪くなっていきます。ひいては心を病むようにさえなってしまうのではないのでしょうか。気を遣いまくって「心の病」になるくらいなら、リスクを背負って「戦う」ほうが、精神衛生上、何倍もいいと思います。
勝っても負けても、「戦い」から逃げ続けている人より、ずっといい人相になるはずです。
世間には「きれいごと」ばかりならべて、要するに教育を「メシを食う手段」にしかしていない教師がたくさんいます。その一方で、理想を見失わず、本気で「戦い」つづけている教師もいます。
子供たちはそれを敏感に感じとります。そういう教師は同僚からは、あまり評判がよくないかもしれません。職員室では孤立しがちになるかもしれません。
「いい格好しやがって」などという、醜い嫉妬心を、たぶん教師という人種ほど強く持っている人々はいないでしょう。けれども大丈夫です。
必ず子供たちが味方になります。「子供たちが信頼してくれる」ということほど、教師にとって強い心の支えはないはずです。
何よりも、理想に向かって戦う姿を、子供たちに見せつづけることほど、素晴らしい教育はありません。教育技術も、知識も言葉も越えて、大人が子供たちに残してやれる最大の遺産は、実は「勇気をもって生きた大人の姿」だと思います。(つづく)