「我が御心すがすがし」という境地 先月、(平成二十一年)十一月十二日、東京の皇居前広場では盛大なお祝いが行われました。その翌日の『産経新聞』の一面に載った両陛下のご尊顔、なんともいいお顔で、私はそのお写真を見ているだけで、しばし浮世のさまざまな憂いを、忘れさせていただく思いがして、大切に保管しております。
あんないいお顔は、近頃の日本人からは、あまり見られなくなりました。
ある意味では、あの両陛下のお顔の写真を、ジッと見ているだけで、戦後の日本人が、いったい何を失ったのか、ということに気付くことができるのではないか、とさえ、私は思います。
私の住む伊勢でも、奉祝の提灯行列が行われ、私もその一人として参加させて頂きました。市民二千人が、提灯と日の丸の小旗をもって、内宮に夜間参拝したのです。
石川県に住む私の教え子も駆け付けてくれて、ともに少し肌寒い内宮前の通りを歩き、新しくなった宇治橋の前で、聖寿万歳を唱え、内宮御正殿前まで進み、両手がふさがっておりますので、一礼だけして戻ったのですが、なんというか、帰宅してもしばらくは「神の気」が、身辺にまだ満ちている…かのような気がして、それだけで、心身ともに清浄になったかのような気分でした。
皇居前に行かれた方も、そのような気分でお帰りになったのではないか、と思いますが、この「清浄」という境地、これはじつは神道では、もっとも大切にしているものです。
あえていえば、神道の到達すべき境地を、一言で表したものとさえいえます。
参拝の前に手を洗うのも、お祓いを受けるのも、みんな「清浄」な状態にするためです。
「清浄」な状態になければ、神様の前には出てはいけないのです。
「清浄」は漢語ですが、これをやまと言葉でいえば、「すがすがし」です。
心身が「清浄」であること、「すがすがし」という境地であること、古来の日本人は、それが神様に近づくための、もっとも大切な条件だと考えてきたのです。
ここには、教師を目指す皆さんが多いと思います。教師になったら、ぜひ皆さん、いつも子供たちに「すがすがし」という境地で接してください。
なぜなら、皆さんが接する子供たちは、ある意味「神さま」だからです。
「神さま」といっても、それは、まぁ…「わがままな神さま」、「怠け者な神さま」、「生意気な神さま」など、いろいろいるでしょうが、しかし、それでもその「神さま」を教え、導くのですから、子供たちに接するためには、まず自分の心が「清浄」で「すがすがし」という境地でいたいものです。
しかし、それでは…、人はどうすれば、そのような理想的な心身の状態を、獲得し、また維持できるのでしょうか?
そういう時、日本人なら、古典を探らなくてはいけないのです。
古典は、私たち日本人にとって、ただの趣味とか教養などではありません。
過去も現在も未来も、私達がこの厳しい人生を生きていくための、「生きるヒント」に満ちているのです。
そういう目で、古典に接してください。
なんといっても、まず『古事記』に、この「すがすがし」という言葉が、とても明瞭なかたちで出てきます。スサノヲの尊が、ヤマタノヲロチを退治して、クサナギの剣を得た直後…という極めて重要な場面で、この「すがすがし」という言葉があらわれるのです。
『古事記』上巻のその部分には、次のように書かれています。
こうして、スサノヲの尊は、新婚のための宮を造ろうとされ、そのための土地を、出雲国にお求めになった。そして須賀という土地に着かれた時、こうおっしゃった。『私は、この地に来て、私の心は、すがすがしくなった。(原文・「吾、此地に来て、我が御心すがすがし」』。そうおっしゃって、その地に宮を造ってお住まいになった。だからその地を、今も須賀と呼ぶのである」(現代語訳・松浦)
ここには、「我が御心すがすがし」という境地に至るための、重要なヒントが隠されています。おわかりですか? その前に、命がけの戦いがあったということです。
ヤマタノヲロチとの戦いです。
スサノヲの命は、ご存知のとおり、神話のはじめのほうではたいへん幼稚でわがままな、また乱暴な神として描かれています。そのため、高天原を追放されたわけですが、その失意のなかで、クシナダ姫を守るための正義の戦いに挑みます。
宗教学でいう「死と再生」が、ここには象徴的にあらわされています。
スサノヲノミコトは、知恵と勇気をふりしぼって邪悪なヤマタノヲロチと戦い、勝利を得ます。これらによって、スサノヲの命は、「再生」を果たしたのです。
この時、後に「三種の神器」の一つとなる「クサナギの剣」を得るというところが、きわめて象徴的です。「剣」とは、何の象徴でしょう?
言うまでもありません。「勇気」です。
つまり、勇気をもって邪悪なものと戦い、そのあとにスサノヲの命は「我が御心すがすがし」という境地に到達されたと、『古事記』は伝えているのです。 (つづく)