平成六年の硫黄島への慰霊の旅で、上皇后陛下がお詠みになった御歌の「いかばかり」のお言葉に、私は深い感慨を覚えます。
そもそも人は、生きていると、さまざまな〝苦しみ〟に出会うものです。
人にとって、それらの"苦しみ"を受け止めること自体が辛いことですが、もしも、それらの苦しみを 「誰も理解してくれない」と感じたら、その苦しみは、たぶん何倍にもなることでしょう。
しかし、たとえ誰か一人でも、〝私を理解してくれている人がいる"と感じたら、その人の"苦しみ"は、きっと何分の一かになるはずです。
たぶんそれが、人にとって、”救い”の、一つのかたちなのかもしれません。
生きている人々もそうなのですから、亡くなられている方々も、その点は同じでしょう。ですから、上皇后陛下は、「いかばかり」と〝理解〟することで、あるいは〝理解しようと努める〟ことで、硫黄島の英霊たちの御霊を、お慰めになられたのではないでしょうか。
そして英霊たちは、そのお礼に、上皇后陛下の長く失われていた「お声」を、取り戻してくださったのかもしれません。それが平成六年の〝硫黄島の奇跡〟の本質ではないか・・・と、私には思われます。
"苦しみ"をかかえる方々を目の前にした時、私たちは、しばしば自分の無力を嘆くものです。 しかし、たとえその方々に対して、具体的、物理的に何もできなくても、その"苦しみ"を"理解する"ことなら、私たちにもできるのではないでしょうか。
もちろん、そういうことさえも、日々、多忙な私たちには、けっして容易なことではありません。
しかし、たとえそうであっても、上皇后陛下の「いかばかり」という"心の姿勢"は、私たちも見ならうべきでしょう。
硫黄島の慰霊の旅のあと、上皇陛下と上皇后陛下は、海外の戦没者の慰霊をはじめられます。
平成十七年にはサイパン島で、平成ニ十七年にはパラオ共和国のペリリュー島で、平成二十八年にはフィリピンで、平成二十九年にはベトナムで、それぞれ戦没者の慰霊をされています。
大東亜戦争の戦没者は、将兵が約二百三十万人、民間人が約八十万人で、あわせて約三百十万人にのぼります。 それらのすべての御霊に対して、上皇陛下、上皇后陛下は、鎮魂の祈りをささげてこられました。
上皇后陛下の次の御歌は、平成八年にお詠みになり、翌年に発表されたものですが、私は、これは、まさしく靖国神社や全国の護国神社に鎮まる、すべての英霊にささげられたかの感がある至高の御歌ではないか、と思っています。
「海陸(うみくが)の いづへを知らず 姿なき
あまたの み霊 国護るらむ」
長い歳月が流れ、ご遺族の方々が、しだいにこの世を去られようと、そして戦後の誤った教育や報道のせいで、多くの国民が英霊たちを忘却し、あるいは冒涜しようと、両陛下だけは「あまたのみ霊」が、今も「国」を守ってくださっている・・・と信じていらっしゃるのです。
まことにありがたいことで、そのような〝心の姿勢〟は、すべての日本人が見ならうべきことではないでしょうか。(つづく)