神戸商科大学助教授 星山京子
(肩書きは当時の もの)
(『神道史研究』平成十五年四月号)
松浦光修氏の大著『大国隆正の研究』(大明堂)が平成十三年九月に刊行された。本書は幕末国学研究者の先鞭者である著者の十数年来にわたる大国隆正研究の集大成である。
幕末、明治初期の代表的な国学者、神道思想家である大国隆正は国学史上研究上および明治期の神祇行政を考慮する際、極めて重要な人物であるにもかかわらず、戦前から現在にいたるまで研究者たちは唯一の全集である野村伝四郎編『大国隆正全集』全七巻(有光社、昭和十二年―十四年)と唯一の伝記史料、井上瑞枝編・宮崎幸磨増補訂正『維新前後・津和野藩士奉公事跡』上(青山清吉、明治三十三年)に依拠して研究を続けてきた。著者はこの『全集』には隆正の初期の著作が未収録であり、従来の研究は隆正の初期の学問思想の検討なしで、その全体像をとらえているという決定的な問題点を指摘している。
著者はこうした長きにわたる資料的な不備を補うべく、初期の著作を新たに収録した『増補大国隆正全集』(国書刊行会、平成十三年)を本書とほぼ同時に刊行しており、双方の書は共に今後の研究に寄与するところ大であろうと思われる。
本書は従来、ほとんど無視されてきた隆正の初期の思想の精査を中心に、その学問思想の展開の真の全体像に迫るとともに、隆正の神道思想の構造と政治思想の特質に論及したものであるが、そればかりでなく、これまでの研究史が描いてきた隆正像や国学史全体に対して大きな見直しを迫る多くの新見に満ちた書である。本書の構成は以下の通りである。(各節の中の細かい区切りについては紙幅の都合上省略した)
第一章 思想形成の過程
第一節 平田篤胤入門をめぐる諸問題
第二節 初期の著述とその思想
第二章 隆正学の成立
第一節 国学四大人観と隆正学の形成
第二節 『学統弁論』の成立
第三章 神道思想の構造
第一節 古伝観の特質
第二節 研究方法としての「窮理」
第四章 政治思想の特質
第一節 天皇総帝論の政治思想
第二節 幕末維新期の思想展開
付章 復古神道の再検討
第一章第一節では『奉公事跡』をはじめ、先行研究が依拠してきた資料の記事に再検討を加え、隆正は正式に平田門に入門していないことを論証、第二節では研究史上、ほぼ無視されてきた若年期の思想を取り上げ、隆正の初期の思想には篤胤の学問的、思想的な影響を受けておらず、むしろその出発点は儒学(朱子学)であり、しだいに本居宣長流の文学的、芸術的色彩の強い「歌学的国学」へ移行、さらにその後、言語哲学的な学問思想を確立、四十才を過ぎて宗教的、思想的色彩の濃厚な「神学的国学」を展開するようになったことを文献に則して、実証的かつ客観的に解明している。
近現代の国学研究の前提とされてきた「国学四大人観」を最初に記した文献は、隆正の『学統弁論』であることはよく知られているが、第二章では前章と同様、史料の精密な調査をもって、この通念をあらためて見直す試みがなされている。第一節では隆正の四大人観の形成過程をその学統観の変遷をたどることで明らかにし、結果、文政八年以前は「歌学的学統観」が示され、文政九年以降の八年間に神学研究が開始され、歌学、神学双方の学統観が見られる天保五年から六年の間の過渡期を経て、天保十一年以降十年の間に「神学的学統観」に到達、国学四大人観が成立したとしている。
さらに第二節では、嘉永二年には成立していた「国学四大人観」がなぜ八年後に完成した著作『学統弁論』によってあらためて体系的に叙述されなければならなかったのかという問を究明すべく、『学統弁論』の諸本や安政四年の三河訪問について検討している。『学統弁論』執筆の動機に関しては多くの先行研究が存在し、特に谷省吾氏の見解が学会に定着しているとしながらも、著者はさらにこの問題をめぐる「内的な」要因に目を向け、執筆動機について先行研究にはない新たな見解を提示している。
隆正は安政四年、晩年期の三河訪問の際、平田篤胤の門人帳に初めて自分の名前を発見、以後、篤胤門人と自己認識し、自分こそが国学の四大人の正統な後継者として主張するにいたったと結論づけている。 (つづく)