皇室の方々の御心に報ゆるべし そういう日本を、最も心配されている方こそ皇室の方々ではないでしょうか。戦後長く、「人権教育」という名を借りて「反天皇教育」が行われてきたことは、私の『いいかげんにしろ日教組』の中にも書いております。
その結果、国民は皇室の御恩を忘れている。しかし、皇室は国民のことを、片時も忘れてはいらっしゃらない。
子供がグレて、親を忘れても…親をののしっても、親は決して子供を見捨てない…。そういう感じです。まことに申し訳なく、またありがたいことです。皇室は今も昔も、「民の父母」として、何の見返りも求めず、常に国民を愛してくださっている。
戦後、日本人の心は貧しくなりました。「無償の愛」、つまり“見返りを求めない愛”といっても、今時は、それを信じない人がほとんどです。しかし、“無償の愛”の存在を、もし疑う者があるならば、そんな人は、皇室の方々の…日々の、そのお姿を、その行いを、よく見なさい、と私は言いたい。
たとえば、平成七年一月十七日、寒い冬の明け方、阪神・淡路大震災が起こりました。伊勢も揺れました。私はその三年ほど前の平成四年三月まで、兵庫県で高校で教師をしておりましたので、かつての私の教え子も被災しました。幸い教え子の中に、死傷者はいませんでしたけれども、多くが罹災し、おばあさんを亡くした教え子もおります。
その大震災のお見舞いのため、天皇皇后両陛下が神戸にお出でになった時、ある若い女性がいきなり皇后陛下に抱くついてくる、というハプニングが起こりました。その瞬間を、『FOCUS』という写真週刊誌が記録しております。
私は、この記事を読みますと…、この間も学生の前で読んでいたのですが、話しながら泣いてしまいました。今日は、泣かないで、頑張って読みますけれども、冷静に読むのは極めてむずかしい。しかし、頑張って読みます。
皇后陛下が、阪神淡路大震災の慰問をされた際の「秘話」
「いきなり女性にすがりつかれた皇后陛下は、しっかりとその体を受け止められ、柔らかく、そして優しく抱きしめられた。・・・『皇室の方が、国民を抱きしめられるという場面を初めて見ました。美智子皇后は、本当に素晴らしかった。』(記者談)・・・
皇后陛下に抱きついた女性は、二十一歳のOL。たまたま小学校の救護所に配給を受けに来ていた。天皇陛下から『頑張ってください』とお言葉をかけられ張りつめていた気持ちがゆるみ、思わず泣き出してしまい、お隣の皇后陛下に、おすがりしたという。
『つらかったでしょう。怖かったでしょう。でも頑張ってくださいね』。皇后陛下は、泣きじゃくるOLを暖かく包まれた。・・・国母、まさしくそうお呼びしたくなるような光景であった」(『FOCUS』平成十三年八月・廃刊<最終号>)
このOLは、そののち結婚し、子供にも恵まれ、神戸市で暮らしているそうです。
写真週刊誌に似合わぬ「国母」という言葉ですが、しかし、この時の皇后陛下には、まさしく「国母」としか言いようのない崇高な光を感じます。
その写真を、あとでゆっくりとご覧ください、見も知らぬ女性に抱きつかれた時の皇后陛下、そのかたわらの天皇陛下の表情も、よく撮れております。
このような方々を国の頂点として戴き続け、二千年もの長い歴史を刻み続けた国…、それが我が国です。なんとありがたい国に生まれたことか、と思います。
世界の国を見渡せば、自己の権力維持のため、あるいは私利私欲のため、何百万の国民が餓死しようと…何千万の国民を殺そうと、平気な指導者たちでいっぱいです。歴史上、そういう国は少なくなかったし、今も少なくない。そのような苦しみに満ちた、この現実世界の中で、皇室を国の中心として仰ぐことのできる私たちは、なんと幸せな国民でしょうか。
もちろん、両陛下は、一億の国民すべてに、直接、どうこう…してくださるわけではありません。しかし、その「思っていてくださる」ということ、そのこと自体が、どれほどありがたいことか。
人というのは、生きているとさまざまな苦しみに出会います。何度も、苦難に遭遇します。
そんな時、何よりも心の支えになるのは、何でしょう。その人のことを思っていてくれる人がいる、ということでしょう。
今、直接どうこうしてくれなくても、誰かが見守っていてくれることが、どれだけありがたいことか。たとえば今は、もう亡くなっていたとしても、お父さん、お母さん、あるいはおじいさん、おばあさんでもいいですが・・・、そういう人たちが、あの世から見守っていてくれる…そう感じる時、日本人は、「どんな苦しみにも耐えていこう」という勇気が沸くものです。
同じように、天皇陛下、皇后陛下は、国民のことをいつも心配してくださっているわけです。もしも「私には、誰も心配してくれる人なんていない」と思った時、人は、ほんとうに深刻な絶望感に飲み込まれます。
かつてマザー・テレサは、「途上国とは異なるかたちの深刻な貧困が、先進国にはある」と語っています。マザー・テレサの伝記によれば、テレサは、イギリスでこう語ったいいます。
「あなたがたは、福祉国家を標榜しています。誰も飢え死にする心配はないということですが、それでも、ここにはまた別の貧困が存在します。それは魂の、孤独の、そして誰にも必要とされていない、という貧困です」。
テレサには、その種の「貧困」は、当時のカルカッタ(コルカタ)の貧困よりも、もっと深刻な「貧困」である、と見えたようです。
現在、日本では、毎年三万人以上の人々が自らの命を絶っております。日清戦争の戦死者でも、約一万四千人です。つまり、日清戦争二回分以上の人たちが、毎年日本では自殺しているんです。異常な事態というほかありません。
それはやはり「魂の、孤独の、そして誰にも必要とされていないという貧困」が、わが国に蔓延しているからでしょう。貧困に満ちた開発途上国を、哀れんで見ている日本人は多いでしょうが、他人事ではない。
じつは日本は、それ以上に、精神の面で貧困に満ちた哀れな国に成り果てているのです。こうした現象の背景に、私はやはり皇室といものの存在を、戦後の日本人が「忘れたこと」、あるいは誰かから「忘れさせられたこと」が、影響しているように思えてなりません。
皇室の方々の国民に対する無償の愛は、今も途絶えることなくつづいています。
しかし、その事実を戦後の教育ではまったく教えていない。「それを認めてはいけない」、「それを感じてはいけない」、そういう教育がなされてきたんですね。
もっとも、表面的には忘れていても、日本人は心の底で、無意識のレベルで、まだ、その大切なことを覚えています。今年(平成15年)、陛下が入院された時のこと、人の多ぜい集まる場所にテレビがあって、私はその中の一人として座っていました。
そしてニュースの時間がきました。みんなザワザワやってたんですが、ところが「陛下のご容態です」とアナウンサーが言うと、みんなシーンとなりました。そして、それが終るとまたザワザワと会話が始まりました。そんな光景を覚えています。「あっ、やっぱり、みんな日本人なんだ」と思いました。
みんな、心の底に、大切なものをしまいこんでしまっているんです。縛られているんです。六十年間の戦後教育で…。その、しまいこんでしまっているものを、もう一度、解き放たなければなりません。
「私は、しまいこんでいないぞ」という方もいらっしゃるでしょうが、それでは、その方は皇室に対して、どのようなご恩返しをしているでしょうか。この国に生まれた幸福に対して、どれほど感謝の誠意をあらわしているでしょうか。
多くの政治家や役人、学者や教師たちは、この半世紀の間、皇室に対していかに無礼な、いかに恩知らずな態度で接してきたか、ご存じの通りです。そのような無礼な人々…、恩知らずな態度を示す人々…、そのような人々に対して、私たちは正々堂々と、抗議してきたでしょうか。
まるで、自分の親が目の前で罵られても知らぬふりをつづけている情けない子供のような、そんな態度を、私たちは、とりつづけてきたのではないか。
その点、私たちは自らを反省すべきであり、悔い改めるべきでしょう。自らの「ふがいなさ」を認めるべきでしょう。
その上で、今からでも遅くないですから、皇室の国民に対する愛に対して…、変わることなく愛し続けてくださっているそのご恩に対して、「自分はその恩に、どう報いたらよいのか」ということを、真剣に考えはじめなければならない時が、今、来たのではないかと思います。
問題は、そこに帰着するのです。
(つづく)