( 「日本」・平成15年10月号)
はじめに かつて日本には「攘夷」という思想があった。あったというだけではない。その言葉に生きて死んだ男たちが数多くいた。しかし、近代化の進展とともに、その思想は瞼を閉じ、大東亜戦の後は、深い眠りに入ってしまった…かのようである。
いまの日本人は、それを「偏狭苛烈な攘夷というナショナリズム」(司馬遼太郎『世に棲む日々』)などと呼んで、かたづけている。しかし、「戦後」という時代に抗しつづけた思想家・葦津珍彦に、こういう言葉がある。
「近ごろの人には、日本の攘夷思想を、未開野蛮な頑迷なものだったように思って軽蔑する人が多いが、それは誤っている。・・・もとより攘夷論者が、はじめに考えたような政策や方法は、必ずしも賢明ではなかった。それは当然に、知識と経験の進むにしたがって修正され行った。その修正は必要なことだったが、日本民族が国際交
通を始める前に、まず攘夷の精神によって独立と抵抗の決意を鍛錬したことは、決して無意味だったのではない。
この精神的準備の前提なくしては、おそらく明治の日本は、国の独立を守り抜くことができなかったであろうし、植民地化せざるをえなかっただろう」(葦津珍彦『大ア ジア主義と頭山満』)
近ごろ私は、“はたして、いまのわが国は、独立国なのか?”という疑問に、しばしばおそわれるが、葦津氏の見解にしたがえば、そのような、わが国の“体たらく”をまねいた遠因一つは、もしかしたら「攘夷」という思想を、日本人が忘れてしまったところにあるのかもしれない。
それでは、「攘夷」とは、そもそもいかなる思想なのか、これから少し考えてみたい。もしかしたら、その思想は、わが国を、もう一度「独立国らしい国」にするために、どうしても必要なものかもしれないからである。
1)
「死地」の自覚 文政七(1824)年5月、水戸の大津浜に、イギリス捕鯨員十余名が上陸する、という事件が起き、幕府は翌年、「異国船打払令(無二念仏打払令)」を公布した。この動きを受けて、文政八(1825)年、会沢正志斎(ときに四十四歳)が著したのが、「尊皇攘夷論の原典」ともいわれる『新論』である。
『新論』の特質として、まず私は、次の点をあげたい。それは、「いま日本は死地にある」との認識を明確に打ち出した・・・という点である。
そのころ、そのような認識をもつことは、じつは容易なことではなかった。むろん、そのころの知識人たちは、「西洋列強の艦船が日本近海に出没している」という事実は知っていた。
しかし、「すでに日本は死地にある」とまでは、認識していない者が多かったのである。たとえば、文政七年八月に、澹静(たんせい)真人という人が著した『籌(ちゅう)海因循録』という書物があるが、そこには、こう記されている。
「来れる者は、全く海賊にて、万里を遍歴して辺海を侵掠し、有合ふ者を奪取までにて、恐るるに足らず」
「西洋列強に戦争や侵略の意思はない、今、日本近海に出没しているのは、ただの無法者にすぎない」と言うのである。
日本では、いつの時代にも、こういう現状認識の甘い、「臆病なお人好し」がいる。危機を危機を正確に認識することは、じつは勇気のある人にしかできないことなのである。
正志斎は言う。そういう類の議論は、「相手から攻められないように、自分が準備するのではなく、ただ相手が攻めてこないことを期待する、人頼みの議論である」と。
また、こうも言う。「戦うか、戦わないのか、その決意を明確にし、いま日本は『必死の地』にあるのだと覚悟して、ことに当たることが重要である」と。
『新論』という書物は、日本は西洋列強に対し、「戦時」の覚悟で臨まなければならないということを、明確に主張した。この書物が、人々に争って読まれたのは、おそらくそのような主張が、当時は、きわめて衝撃的であったからにほかならない。
それでは、「戦争」という自体が頭をよぎったとき、また、自己や他者の「戦死」という事態が頭をよぎったとき、人は何を考えるものであろうか。それは、自己や他者が命をかけて護るべきものとは何か?ということであろう。『新論』は、それについても、明確な答えを示している。
2) 国体と道徳
古来、武士たちにとって「護るべきもの」とは、「主君と家臣の先祖たちが出会い『血みどろ』の『御苦労』を共にして『御家』が確立したその来歴・事情の中に見いだされる」(菅野覚明『よみがえる武士道』)という性質のものである。そのような武士道思想が藩の枠を超えて拡大されれば、容易に日本全体の「来歴・事情」のなかに、「護るべきもの」を見いだすことになる。
それが『新論』でいう「国体」である。しかし、ここからが大切なところなのであるが、日本の「国体」とは、「日本の来歴・事情を、あらわしたものである」から、すなわち「尊い」というわけではではない、ということである。もしも、そういう理由だけで「国対」を護ろうとするならば、それは「民族的なエゴイズム」の枠内にとどまるものになろう。
「攘夷」は、そういうものではない。日本の「国体」には、“人類普遍の理想”、すなわち「道徳」が表現されているから「尊い」のである。そのことを信じる時、はじめて日本の「国体」を護ることが、「道徳」を護るということと、イコールということになり、そこにおいて、はじめて「国体」を護るという行為も、「民族的なエゴイズム」を脱した「道徳」的な行為として、認知されるのである。
『新論』の「国体」上には、日本の「国体」というのものは、「天の仁を体し、天の明に則り、天の威を奮」ったもの…、すなわち、「天」の尊厳を表現したものである、と記されている。つまり、それは「かたち」のない道徳を「かたち」にしたものであり、それゆえに尊く、そして護るべき価値をもつ存在なのである。
しかし今、西洋列強は、その尊い「国体」をもつ日本を、侵略しようとしている、それは「日本の危機」であるが、それと同時に人類の「道徳の危機」でもある。したがって、そのような野望は断固、打ち砕かねばならないのである。
『新論』の「長計」には、「戎狄(じゅうてき)の道」を打ち砕くことは、イコール「神聖の道」を明らかにすることである、と記されている。ここに「攘夷」という思想の本質があるように思われる。
(つづく)