(『解脱』平成21年1月号)
〝木やり歌〟とともに・・
昨年(平成十九年)の五月、私は白装束に身をかためて伊勢市の路上に立っていました。…と、それだけいうと、なにやら〝怪しげ〟な感じですが、その時、私が何をしていたか、皆さんには、もうおわかりでしょう。
お察しの通り、その時、私は来る平成二十五年の式年遷宮のための、「お木曳き」という御奉仕に参加していたのです。平成二十五年で、式年遷宮も第六十二回目となります。
「お木曳き」は、室町時代にはじまり、江戸時代に盛んになった行事です。
まず、それぞれの町ごとに人々がグループ(奉曳団・ほうえいだん)を結成し、つぎに、式年遷宮のために必要な檜の丸太(御用材)を、二つの木の車輪を持つ(奉曳車)に乗せます。
そして、いよいよ、「お木曳き」の当日は、その車に、二本の長い綱をつけ、それを白装束に身をかためた何百人もの老若男女が、人の力で引いて、神宮へと運ぴます。「神さまのために…」という一つの思いが、人々を一体にする瞬間です。
そのような伝統行事が、今もつづいているわけですが、綱を引きながら、伊勢の町ごとに伝わる「木やり歌」も歌われます。素朴で、どこか哀調を帯びたその歌を聞いていると、まるで自分が、江戸時代の〝太平の世〟にタイムスリップした…かのような気分になります。
「お木曳き」は、もともとは伊勢神宮に直接「年貢」を納める地域の人々(神領民・しんりょうみん)の行事でしたが、現代では、全国各地から、いろいろな人々が、いろいろな団体を結成して、「特別神領民(旧称・一日神領民)」として参加しています。
平成十九年は、私の勤務する大学でも、「奉曳団」が結成されましたので、私もその一員として御奉仕させていただき、それで私は、一昨年の五月、白装束に身をかためて伊勢市の路上に立っていた…というわけです。
思い起こせぱ、二十年前の「お木曳き」のころは、私は、現在勤務している大学の大学院生でしたが、高校の非常勤講師の以仕事もあって、とうとう御奉仕する機会を、逃してしまいました。
それで今回、そして二十年後は…と考えると、たとえ元気でいたとしても、もう私は大学を定年になっており、大学の現役の教職員で構成する「奉曳団」に参加する資格は、もうありません。
ということは…勤務する大学の「奉曳団」に、現職の教職員として参加するのは、平成十九年のその日の参加が〝最初で最後の体験〟となったわけです。なにしろ、遷宮は、二十年に一度のことですから、一度逃してしまうと、〝次〟までは、長いのです。
「しまった!。でも・・・あと二十年も待てない」という方には、たとえば、四年後にこういう御奉仕があります。
人々が白い石を一つずつ持って、新しい御正宮の敷地に敷きつめていく「お白石もち」です。前回の御遷宮(平成五年)のさいも「特別神領民」の参加が許されています。ですから、それにならって、あるいは今回の御遷宮でも参加が許される…かもしれません。 (つづく)