(『祖国と青年』平成25年1月号)
一 “皇室破壊の時限装置”をセットしたGHQ「日本とは何か?」と問われれば、ここにいらっしゃる皆さまならば、「天皇である、皇室である」と、おっしゃると思います。その“日本そのもの”といっていい皇室が、今(平成二十四年)、危機に直面しています。
「女性宮家創設」が、進められているからです。
今言われているような、将来的に皇位継承権を持つであろう「女性宮家」というのは、歴史上、一例もありません。それは「女系天皇」に直結する制度です。
かつて「女性天皇」は八方十代存在します。しかし、いずれも男系の女帝で、「女系天皇」など歴史上一例も存在しません。
神武天皇から今上陛下に至るまで一貫して男系で継承されてきました。
それが、厳然たる事実です。
ところが、かつての自民党政権も、もうじき滅びるであろう…民主党政権も、建国以来のその伝統を破壊しようとしました。
彼らは…というより、その背後にいる官僚は「天皇になる資格のない人を天皇にし、皇族になる資格のない人を皇族にする」…、そういう制度を創設する企みを、今も諦めていないのです。
彼らは、要するに「易姓革命(えきせいかくめい)」を企んでいるのでしょう。
「共産革命」がダメなら「易姓革命」でも…ということなのでしょうが、そのようにとんでもない「革命」を実現するため、政府と官僚、そして彼らに加担する一部の御用学者たちは、執念深く動き続けています(小堀桂一郎『万世一系を守る道』参照)。
政府は今年(平成二十四年)二月から六回にわたって「有識者ヒアリング」なるものを開催し、十ニ人から意見を聞き、十月五日にはその「論点整理」なるものを発表しましたが、なんともメチャクチャなものでした。
何しろ、誰も言っていないことまで書き込まれているのですから、民主党お得意の「詐欺」に等しい。
「論点整理」ではなく、「論点捏造」というのが、その実態です。
「女系天皇反対」「女性宮家反対」ということを、私は平成十四年以来、もう十年も新聞、書籍、冊子などで、ずいぶん書き、全国各地の講演でも、ずいぶん語ってきました。
これは一度実現したら、もう取り返しがつきません。
その法案化を断固阻止し、ほんとうの意味で宸襟を安んじ奉るための、皇室伝統に即した正しい法改正…、つまり、旧皇族とその男系男子の子孫の方々の「皇籍回復」を、何としても実現してまいりたいと思います。
自民党の安倍晋三総裁をはじめ、総裁に近い方々も、この問題については、よくご理解いただいていますので、何としても、来月の選挙には大勝していただかなくてはなりません。
余談ですが、私は昨年(平成二十三年)、『留魂録 吉田松陰の「死生観」』という本を出版し、今年(平成二十四年)二月、大阪市で安倍氏に、直接お渡しいたしました。松陰先生は生前、門人たちに「たとえ松陰の肉体は死んでしまうとも、魂魄はこの世に留まって、お前たちの身に添うて、必ず私のこの精神を貫く」と、おっしゃっています。
あるいは三島・森田両烈士のみならず、松陰先生の英霊も、今の安部総裁には沿ってくださって、これから大切な仕事をはじめようとされているのではないか…と、近ごろ思う時があります。
さて、それにしても、なぜ平成の皇室に、このような危機が生じたのでしょうか。
「女系天皇」「女性宮家」は、そもそも「革命」を目指す官僚と、彼らに加担する御用学者たちが言い始めたことですが、彼らは“男系男子の皇族の人類が減少することが、今のところ確実だ”ということを、その口実にしています。
しかし、なぜ男系男子の皇族の人数が減少してきたのか…というと、そもそも今の宮家の数が少なすぎるからです。
それでは、なぜ宮家の数は少なすぎることになったのか…といえば、それは、占領期間中、GHQが「そうせよ」と強制したからです。
昭和二十二年まで、宮家は十四家ありました。
それが三家に減らされたのです。
昭和二十二年十月。十一宮家五十一名の方が、強制的に臣籍降下させられています。
大切なとひろは、自然にそうなったのではなく、占領期間中、いわば“銃口をつきつけられるかたち”で、そうなった、ということです。
その事実が、すべての議論の大前提です。
本来なら、昭和二十七年の主権回復と同時に、その十一宮家の方々は、即座に皇籍復帰していただくべきだったのです。それらを当時の吉田茂首相以下、戦後の政治家たちは怠った。
すべての原因はここにあります。
それでは、GHQはどういう考えで、十一宮家の強制的な臣籍降下を行ったのか。
京都大学名誉教授の中西輝政氏は、かつて次のように書いています。
「一九四六年、昭和二十一年当時、まだCIAが出来る前の政府情報関係の解説文書を見ると、これは、はっきりとは書いておりませんが、行間を読めば、『日本の皇室には宮家が多すぎる。
皇室の藩屏といわれた華族の廃止と一体になる形でこれを極限することにより、将来的に皇位継承は二世代、三世代後に難しくなるであろう』という趣旨が、明らかに見て取れます。
宮家の『極限』という方向を示唆しているのですが、極限に減らして自然に立ち枯れに持っていくのが、一番望ましい方向だ、というわけです。占領軍の側にこういう長期的な戦略的思考があったということは、是非知っておいていただきたいのです。」(『祖国と青年』平成十八年四月号)
今でも、「女系天皇」「女性宮家」を主張する御用学者や「御用漫画家」などは、旧皇族とその男系男子の子孫の方々の皇籍回復について、執拗に反対し続けていますが、その思考回路が、私には全く理解できません。
おそらく彼らの頭の中には、まだGHQが「駐留」をつづけているのではないか、と思います。
「旧皇室典範」が廃止されたのは、昭和二十二年五月二日で、翌五月三日、「日本国憲法」の施行と同時に、今の「皇室典範」が公布されます。
それから五か月余り後、十一宮家の臣籍降下が強要されます。
つまり、現行の「皇室典範」の下で、約五か月の間、十一宮家の方々は、まだ皇族でいらっしゃったわけです。
ですから、論理的にいえば、「原状」に復帰していただくということですから、基本的には、法律一本で可能です。
ちなみに、「女性宮家」の対案として、今、真正保守派が出しているのが、女性皇族が結婚され皇族離脱されても「内親王」「女王」という称号を保持していただく、という「尊称案」です。
昨年(平成二十三年)末、「女性宮家創設」の動きが急に始まった後、私はすぐさま十二月二十四日放送の「チャンネル桜」に出て、「旧皇族典範」に「尊称」の規定があることを示し、これを私たちの対案として主張していくべきである、と訴えました。
そのせいかどうかわかりませんが、その年明けから、この対案は、安倍氏をはじめ、いろいろな方々が、広く主張してくださるようになりました。(つづく)