「正統」が現代に甦らせた古典の名講義
(『正論』平成二十七年三月号)
明星大学戦後教育史研究センター 勝岡寛次
NHKの大河ドラマが久々に吉田松陰を取り上げている。世間の関心が松陰に向かうのは悪いことではないが、ブームに便乗した解説本などより、松浦光修氏の編訳になる本書がお勧めだ。
『講孟余話(講孟箚記)』は安政二年から三年にかけて『孟子』を講義した松陰の主著。岩波文庫や講談社学術文庫にもなっているが、当時の知識人の間では常識だった漢学の教養を現代人はまるで欠いているので、その高い壁に阻まれて、最初の数頁で敢え無く挫折した経験を持つ人が多い筈だ。
その点本書は、原点から厳選した文章だけを最初から現代語訳で提示し、その一つ一つに松浦氏が「余談」として自由な感想を述べる形式なので、誰でも気軽に松陰の考えに触れることが出来る。
『孟子』を幕末の時点で自由に論評した松陰の書物を、改めて現代の時点から自由に論評し、現代人には最早難しくなってしまった古典の名講義に、気軽に親しめるようにしたところに、恐らく本書の最大の特長があるだろう。訳出した『講孟余話』の原文についても書き下しの形で巻末に収めている。
「余談」の中に、こういう話が出てくる。
「平成二十四年四月、たまたま私の勤務する大学に、沖縄出身の女子学生が入学し、私が主催している自由参加の勉強会に加わったのですが、その学生から話を聞くと、沖縄の状況は思った以上に深刻です。強い危機感を覚えた私は、その年はじめて沖縄を訪れ、県内の各地を回り、その後は所々で、『尖閣、・沖縄の危機』を訴えるようになりました。」
教育者にして行動家たる編訳者の本領を垣間見た気がしたが、考えてみればそうした資質こそは、松陰という不世出の行動家にして教育者の魂に編訳者が惹かれる所以なのだろう。
『講孟余話』は、「尖閣・沖縄の危機」とは無縁の書物だが、松陰もし今の世にありとせば、必ず同様の行動に出るに違いない。「聖賢に阿らぬこと要なり」という松陰の言葉を。正に地で行っているのが本書の強みである。
因みに大河ドラマの方は松陰ではなく、末妹のふみ(杉文)が主人公という設定だが、吉田松陰の家庭ってこんなんだっけ?と見ていて違和感ばかりが募る。
日本の女性に特有の凛とした強さは何処へやら、松陰の周囲には軽佻浮薄な女性ばかりが跋扈する有様だ。現代女性の感覚で、視聴者に媚びるようにしてかつての女性を演じられては適わんなあと、毎回げんなりさせられる。
番組は初回からワースト・スリーの低視聴率で低迷しているそうだが、果たせる哉である。
低俗NHKドラマに嫌気がさしたという向きには、本書を是非手にとっていただきたい。