(『正論』平成27年1月号)
『最後の勝機(チャンス) 』
小川榮太郎 著 PHP研究所
(PHP研究所HP)
最近の小川さんの文章に、かつては「大人の常識」を代表する雑誌であった『文藝春秋』の“劣化”を、鋭く突いたものがある。
そのなかで著者は川端康成の「山の見えない京都など京都ではない」を踏まえて、「日本語が香らない。香りのない日本語など『文藝春秋』ではない」(『正論』平成二十六年九月号)と嘆いている。
しかし、「日本語が香らない」ようになったのは、何も『文藝春秋』のみではあるまい。私には小林秀雄などの、かつての保守言論界の巨人たちが没したあとの日本の「保守派の文章」も、いつのまにか「日本語が香らない」、いわば“パサついた文章”だらけになってしまったような気がする。
そのような現代にあって、小川さんの書いたものは「政治の修羅場」を描いたものであっても日本語が“香っている”。“芸術評論を専門にされていた方だから、そのような馥郁たる香りのある文章が書けるのでは…”と思われる向きもあろうが、それは皮相な解釈にすぎまい。
『平家物語』などの古典がそうであったように、そもそも芸術的な感性のある者だけが、ほんとうの意味で「政治の修羅場」に迫れるのではあるまいか。
本書は、その小川さんが、かつて雑誌に発表された政治評論をまとめたものである。しかし主題は、安倍政権を「評論すること」ではない。本書の巻頭には「今、日本は既に『戦場』だと言っていい」とあるが、たぶん小川さんは「お気楽な政治評論」などしている時間的な余裕など、今の日本には残されていない、と考えているのであろう。
今、必要なのは、わが国の前途に山積する諸課題を打開するための具体策の提示である。そのため本書は、貴重な具体策に満ちた「試論」の集合体になっている。
小川さんは、「今の日本で政治を語る人達は『安倍政権であること』にすっかり慣れてゐる」と警鐘を鳴らす。そして、「保守派は安倍氏への注文屋ではなく、長期戦を戦ふ真の戦友でなければならない」と望んでいる。至言であろう。
おそらく小川さんは、安倍政権が、わが国に残された「最後の勝機」と信じ、「やむにやまれぬ大和魂」で、静謐な芸術評論の世界から出て、「政治の修羅場」に飛び込み、本書に結実したような「試論」を、つぎつぎと発表されているにちがいない。
小川さんは、いかにして安倍政権の間に、「日本を取り戻す」ことができるか…という課題に対し、いわば“体ごと”ぶつかっている。私は、本書が広く読まれることを望んでいるが、ただ本書が広く読まれることだけが、小川さんの望みなのではあるまい。
「日本を取り戻す」ための「長期戦を戦ふ真の戦友」が、一人でも増えてほしい。それが、本書に秘められた小川さんの、もっとも切実な願いなのではなかろうか。(おわり)