3. まつ枝さんを歓待するオーストラリア
昭和43年、松尾敬宇さんのお母様・まつ枝さんは、「答礼」のため、オーストラリアを訪れます。
83歳の「勇者の母」を、人々はこぞって歓迎し、現地のマスコミは連日そのようすを感動とともに伝えました。
まつ枝さんは、シドニー湾で慰霊したあと、「戦争記念館」で、敬宇さんの特殊潜航艇と対面します。
そして、当時のオーストラリアのゴードン首相まで、まつ枝さんを出迎え、こう語りかけたのです。
「あなたのお子さんは、われわれオーストラリア国民に、真の勇気とは何であるか、真の愛国心とは何であるかを、身をもって示してくださった。心からお礼を申し上げます。」
ある新聞記者が、「最愛の子供を失って、お寂しいでしょう。」と質問すると、まつ枝さんは、こう答えたそうです。
「日本では、国に忠義を尽くすことが本当の親孝行となるのです。私の子供は大きな親孝行をしてくれました。すこしも寂しいとは思いません。心から満足しています。」
もちろん…、ほんとうは「寂しくない」わけがありません。
まつ枝さんの和歌に、こういものがあります。
靖国の 社に友と 陸(むつ)むとも
折々かへれ 母が夢路に
しかし、まつ枝さんは、「母である私が人前で、¨私¨にとらわれた言動をすれば¨公¨に殉じた息子の死を辱めることになる」と、思っていたのでしょう。
現代のほとんどの日本人には、理解できない心情かも知れませんが。それが「教育勅語」の精神をもつ「日本の母」の、哀しくも美しい、凛とした心意気なのです。
4.すてきな日本
オーストラリア滞在中のまつ枝さんに、すばらしい逸話があります。まつ枝さんが熊本弁でしゃべるので、オーストラリア人の通訳が難儀して、「こんど来られる時は、英語が喋れるようになってください。」と言ったところ、まつ枝さんは、こう切り返したそうです。
「こんど私が訪問する時は、皆さん方も日本語を勉強して、日本語が話せるようになっていてください。」
この毅然とした言葉に、オーストラリアの人々は感動し、ますますまつ枝さんの人気が高まって、ほんとうに日本語を勉強して手紙を送ってきた人もいるそうです。
まさに「すてきな日本(クールジャパン)」ここにあり…、というところでしょうか。
ところが、近ごろの日本は、どうでしょう。英語を「社内公用語」にする企業があらわれたかと思えば、文部科学省は小学校から英語を必須化し、国立大学では講義の三割を英語にせよ、などと言い出しています。
「このままでは日本文化、日本文明が滅びる」と危機感をつのらせているのが、筑波大学教授・津田幸雄さんです。
津田さんは英語が専門ですが、外国人教員を交えた大学会議でも、絶対に日本語しか使わないそうです。
そして、どの外国人にも「日本にいる時は日本語を使ってください。」と言わなければならない、としつつ、日本もフランスの「トゥーボーン法」(日常生活でのフランス語の使用を義務付けた法律)にならって、「日本語保護法」を制定するべきである、と主張されています。
もちろん英語の「専門家」の養成は、不可欠ですが、だからといって、日本で日本語が、しだいに「下位言語」になっていく傾向を、黙って見ていていいはずがありません。
松尾まつ枝さんを見習って、私たちも日本にいる外国人には、「皆さん方も日本語を勉強して、日本語が話せるようになってください。」という心意気をもたなければ、「武士道精神」のみならず、やがては日本の文明・文化のすべてが、地球上から、残らず消えてしまうことでしょう。
【参考文献】
名越二荒之助・拳骨拓史著『これだけは伝えたい 武士道の心』防衛弘済会。
津田幸雄著『日本語を守れ』明治書院。