(「 國民新聞」・ 平成25年11月25日・19189号)
今年(平成二十五年)は、二十年に一度の伊勢の神宮の「式年遷宮」年であり、そのクライマックスともいうべき「遷御の儀」が、さる十月二日夜に皇大神宮(内宮)で、五日夜に豊受大神宮(外宮)で、いずれもつつがなく斉行された。神々の尊い光が、若さをとりもどし、あらためて世を照らしはじめたかの感があり、まずはそのことを心より寿ぎたい。
今回のご遷宮では、とくに二日夜、安倍総理と八名の閣僚が参列されたことを喜びたい。
総理の参列は、なんと昭和四年の浜口雄幸以来、八十四年ぶりで、むろん戦後では、はじめてのことである。
安倍総理の「戦後体制からの脱却」の強い意志がうかがわれる快挙といえよう。
しかし、その翌日の「朝日新聞」は、「日本キリスト教協議会の靖国神社問題委員長」なる老人に、「憲法に定められた政教分離の原則に違反する行為だ」と語らせている(「朝日新聞デジタル」十月三日)。
その記事を見て、私の脳裏には一抹の不安がよぎった。サヨク勢力は、首相の靖国神社参拝のみならず、伊勢神宮参拝までも阻止しようと、動き出しているのではあるまいか。
毎年正月の首相の伊勢神宮参拝は、あの最悪の民主党政権下でさえ継続されてきた慣例である。しかし、反日サヨク勢力は、すでに首相の靖国神社参拝を困難にする「空気」をつくりあげてしまった。そして「次は首相の伊勢神宮参拝阻止へ…」とターゲットを移しはじめている可能性が高い。
現に「朝日新聞」は、そのような空気を、つくろうとしはじめている。
考えたくもないことであるが、サヨク活動家グループが、いつか首相の伊勢神宮参拝に対しても、「政教分離」を武器にして裁判を起こす可能性もある。 何しろ伊勢市は、あの「津地鎮祭訴訟」が起きた三重県に所在するのであるから…。
そういえば昨今、伊勢市では不穏な空気が流れはじめている。昨年四月、「脱原発首長会議」という団体が結成されたが、その十五人の呼びかけ人のなかに鈴木健一(伊勢市長)の名が見えるのである。
他の呼びかけ人は「九条の会」傘下の「マガジン九条」発行人の上原公子(元国立市長)元・社民党副幹事長の保坂展人(世田谷区長)などである。
そして、その団体の八名の「顧問」のなかには、なんと志位和夫(日本共産党、衆議院議員)、福島瑞穂(社民党、衆議院議員)の名前さえ見える。
伊勢市長・鈴木健一氏が「社民・共産系である」などという認識は、伊勢市民には一切ない。しかし、私にはそのことが、かえって「危険」に思われる。
なぜなら市民が油断している間に、伊勢市に「サヨク活動家」が入りはじめているからである。
たとえば、今年の「脱原発首長会議」の「公開シンポジウム」は、伊勢市の「ハートプラザ御園」で行われている。 むろん鈴木健一氏も上原公子氏も、そのシンポジウムのパネラーである。
おそらく鈴木健一氏は、この団体の「中心人物」になりつつあるのであろう。
また同月、伊勢市の宮川ラブリバー公園で「アースデイ伊勢」なるイベントが行われている。その事務局長は上原公子氏であり、その開会宣言を行ったのは鈴木健一氏である。
この「アースデイ伊勢」の謳い文句は、「神の国から日本、そして世界のケガレを払う」というもので、一見すると「神道色」のあるイベントのように見える。
しかし、繰り返すが、そのイベント事務局長は上原公子氏なのでる。「思想偽装」と考えてよかろう。
そのような手法はサヨク活動家の常套手段である。かつての反日サヨク活動家は「人権」「平和」「民主」などを「思想偽装」に用いていた。
しかし、近ごろの反日サヨク活動家は、「地球環境」「男女共同参画」「グローバル化」などにとどまらず、「神道」さえ、その思想の偽装に用いはじめたようである。
ちなみに、去る十月十八日、その伊勢市の市長選が行われた。
当初は、現職である鈴木健一氏の「無投票再選」が予想されていたが、直前になって「保守系」と見られる二候補が名乗りをあげ、鈴木健一氏の再選を阻もうとした。しかし、結果は、現職の鈴木健一氏の圧勝に終わっている。
今後、二期目を迎える鈴木市政が、本性をあらわして「サヨク路線」に大きく舵を切り、それとともに上原氏などをはじめとする全国のサヨク活動家が伊勢市に流入し、伊勢市を活動拠点化していく可能性もある。
かつて私は、三重県を「日教組王国」と呼び、その「首都は伊勢市である」と書いた(拙著『いいかげんにしろ日教組』[PHP研究所・平成十五年]/『新編 いいかげんにしろ日教組』上・下[経営科学出版・令和四年])。
それから十年の歳月を経た今、残念ながら私の指摘は証明されつつあり、しかも事態は、より悪化しつつある。
かつて古都と称えられた都市が、いつのまにか「赤く」染まってしまったように、このまま神都も「赤く」染められてしまうのであろうか。
祖国を愛する全国の心ある方々に、あらためて警鐘を乱打するしだいである。(おわり)