(『日本の息吹』平24年4月号)
東日本大震災から一年が経つ。あの日、一瞬にして多くの尊い命が失われ、一夜にしてあまたの大切なものが消えた 。
私の身近なところでは、現在、二十歳の教え子が、高校時代の親友を失っている。旧交を温めた直後の出来事であったらしく。ふだんは寡黙な彼が、私の研究室で、亡き友の思い出を語りつつ涙したことが、つい昨日のように思い出される。しかも、大震災と同時に、複数基の原発事故まで発生した。建国以来、一度も経験したことのない大惨事を前にして、あの時、国民の多くは、暗夜の嵐のなかで、木陰に震ええる小鳥の心地であったと思う。
しかし天皇陛下は、早くも大震災発生の五日後に、国民に向けて「ビデオ・メッセージ」をくだされた。“私はいかなる艱難の時も、常に国民とともにある”との大御心(おおみこころ)を拝し、多くの国民は暁闇の地平から、一筋の曙光が射し染めた…かのような思いであったろう。
その後、両陛下は、あのご高齢で、しかも病をかかえたお体で、苦しみと悲しみをかかえた国民に寄り添われるため、難路をたどり、くりかえし被災地に赴かれ、そしていつも、遠くの海岸までつづく瓦礫を前に、深々と一礼された。
それは、まさに尊い「祈り」のお姿ではなかったか。
いかなる権力者の声高な励ましよりも、いかなる著名人の巧緻な慰めよりも、亡き方々の御霊に、あるいは天地や海の神々に、目して「祈り」を捧げられている両陛下の、あの御後姿こそが、国民にとっては最大の励ましであり、また慰めではなかったか、と思う。もちろん震災の傷は今も深く、その痛みが消える日は、そう容易には来ないであろう。
しかし、あらゆる「災い」が世界に拡散しても、パンドラの箱の底に「希望」が残っていたように、国民は巨大な悲劇の中で、日本人として生まれ、大御心につつまれている歓びを、あらためて体感したのである。
「御民(みたみ)われ、生ける験(しるし)あり」との感慨は、何も遠い昔の万葉人のものだけではなかったことを、私たちは知った。
憂いにたえないことであるが、陛下は、本稿を執筆している二月下旬の時点で、いまだ御入院中である(*)。そのさなか、皇居の清掃奉仕におもむいた神職関係のある団体が、皇后陛下から御会釈(ごえしゃく)を賜ったと、ネットの動画が伝えていた。
天皇陛下を案じ、皇后陛下の御心のうちは、いかばかりであったか、と胸が痛むが、しかし、その時、皇后陛下から発せられたお言葉は、こういうものであったという。「この国をお守りするために、お祈りをしてくださいね」。
(*)天皇陛下は三月四日、ご退院になりました。