平成二十九年二月、今上陛下は、お誕生日の記者会見で記者から「天皇の在り方」について質問されたさい、前年(平成二十八年)の八月、愛知県西尾市の岩瀬文庫で、後奈良天皇の「宸翰般若心経」をご覧になったことについて、お話しになっています。
その記者の質問に対して、陛下は、まず上皇陛下が平成二十八年八月に発せられた「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」のなかの、こういうお言葉を引用されました。それは、「天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えてきましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えてきました」というものです。
そして、その思いを自分も受け継ぎたい・・・とされつつ、じつは歴代天皇も、その思いは同じであった・・とおっしゃっています。あと歴代天皇のお名前を、具体的に次々とあげていかれるなかで、後奈良天皇と岩瀬文庫の「宸翰般若心経」についても、詳しく語っていらっしゃいます。
これは大切なお言葉ですので、少し長い引用になりますが、ここにあげておきます。
「昨年(平成二十八年)の八月、私は、愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れた折に、戦国時代の十六世紀のことですが、洪水など天候不順による飢饉や疫病の流行に心を痛められた後奈良天皇が、苦しむ人々のために、諸国の神社や寺に奉納するために自ら写経された宸翰般若心経のうちの一巻を拝見する機会に恵まれました。
紺色の紙に金泥で書かれた後奈良天皇の般若心経は、岩瀬文庫以外にも、幾つか残っていますが、そのうちの一つの奥書には、「私は民の父母として、徳を行き渡らせることができず、心を痛めている』旨の天皇の思いが記されておりました。
災害や疫病の流行に対して、般若心経を書写して奉納された例は、平安時代に疫病の流行があった折の嵯峨天皇を始め、鎌倉時代の後嵯峨天皇、伏見天皇、南北朝時代の北朝の後光厳天皇、室町時代の後花園天皇、後土御門天皇、後柏原天皇、そして、今お話しした後奈良天皇などが挙げられます。
私自身、こうした先人のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈るとともに、両陛下が、まさになさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむ、ということを続けていきたいと思います」。
質問した記者は、たぶん”目新しい天皇の質問しい在り方”を、何かお話しいただいて、それを記事にしたかったのでしょうが、そのような〝引っかけ質問〟に乗せられる陛下ではありません。
陛下は歴代天皇の大御心を、上皇陛下が受け継がれ、そしてそれを自分も受け継いでいきたい…・と、キッパリ宣言されているわけで、畏れながら、まことに"おみごと"と申し上げるほかありません。
(つづく)